ピカソの名言について

ピカソの本を読んでいる。

その内容を少しだけ書いていこうと思う。

まぎれもなくピカソは天才だと思ったのが感想だ。

ピカソはスペインで長男として生まれるが死産としいて誤認されテーブルの上で放置されていたが医者の叔父に適切な処置で蘇生した。

ピカソは言葉を覚えるより先に絵を描いていたらしく、最初に覚えた言葉が「ピス、ピス」鉛筆(ラピス)だったという。

10歳で美術学校に入学し14歳で画家としての公式デビューをはたした。

これが14歳の作品「初聖体拝領」すごいとしか言いようがない。

ピカソには青の時代という頃がある。

これは作品を青一色に塗り上げるようになった時代である。

これは友人が自殺したのをきっかけであったとされている。

今読んでいる本にこの頃の名言が載っていたので紹介します

『無理やり探して見つかった個性なんて偽物だ」

である。

すごい言葉である。人と違うことをしようと服装を変えたり、人と違うことをしようと色々する方がいるが、それが個性と思っているかもしれない。

しかし、それが個性であるかと言えばそうでないような気がする。いろいろな経験や人との出会いや別れがあり、その中で考え悩んだ末に体からにじみ出てくるものでそれが人と違うものが個性なのかもしれない。

僕自身、個人事業主である前に、技術者である。その技術や知識をもっと学び、悩み個性を出せるよう修行したいと思う。

 

孤独な絵画鑑賞。。。。ゴッホ展がはじまる。

今回兵庫にゴッホ展が開催されるということで、絵画について。。。

絵画を見るのが好きでよく、京都、大阪、兵庫の美術館にはよく行くし、美術館の本を借りることもある。

今回はゴッホと有名絵画、フェルメールの本。絵画は歴史的背景やその作者の置かれている立場などが色濃くその作品に投影さえることがある。

例えば有名なムンクの叫びでは、

交際していた女性が結婚話のもつれでピストルで自殺しようと試みたのでそれを止めようとしたムンクが左手を負傷してしまう。さらにアルコールにおぼれ、精神的にも病み被害妄想、脅迫観念に悩まされる。そんな中、フィヨルドのほとりを歩いていて日没に赤く染まった雲を見た。友人は先に行ってしまったが、彼は恐怖に震え叫びの声を聴いたという。この叫びという作品には中央の雲の部分に小さな文字で「こんな絵を描くのは狂人だけである」とムンク自身が書いている。

ピカソの絵で「ゲルニカ」というのがある。

この絵は奥さんのマリーテレーズと浮気相手のドラを喧嘩させたときに書かれた作品である。その時に、マリーとドラをどちらを選ぶかとなった時に、名言「戦って決めればいい」といって喧嘩させたらしい。

 

このように絵画をより楽しむためにはある程度、作家や時代背景を知っていると面白い。

今回はゴッホ展なので、ゴッホについて書いていこう。ゴッホは「炎の人」と言われている。彼は転々と仕事をしながら社会の底辺で生活していた。画家になっても生前はほとんど評価されることもなかった。恋にも苦しみ、プロポーズも拒否され、その苦しみから逃れるためアルコールに溺れていった。そんな兄を助けようと弟のテオは画家のゴーギャンと共同生活を提案する。二人はアルルの黄色い家に同居する。

この時ゴーギャンを迎えるために書いたのが有名な「ひまわり」である。しかし彼らの共同生活は悲劇的な結末の終わる。個性的な二人は衝突し、かの有名な耳切り事件を起こす。テオはその後もゴッホを支えたが彼の息子が亡くなった時に些細なことで口論になるゴッホは家を出て行ってしまう。それから3週間後ゴッホは自殺する。それにショックを受けたテオもこの世を去ってしまう。

さてこの有名なひまわり、ゴッホは牧師の家の生まれたため、こだわりが強かったらしい。キリスト教と関係が深い花で、太陽にまっすぐ咲くことから忠誠心や愛の象徴とされている。このひまわりの花瓶はゴーギャンの共同生活で生活する黄色い家をあらわしており、ヒマワリは14本飾られている。この14本のうち12本はキリスト12使徒を象徴し、後の2本は弟のテオとゴーギャンではないかとされている。

オランダの画家が好きなのか、レンブラントやフェルメールブリューゲルスなど目が行く作家はみなオランダ人が多い。

世界一馬鹿な旅人

 

アニメ、フルーツバスケットを見ていた。

その中に主人公が修学旅行の積み立て金を滞納していた。その理由がバレンタインデーでみんなにチョコレートを配ったためお金がなかったのだ。

そんな中こんな寓話が登場人物から語られる。

 

『バカな旅人が旅をしてるの
どうバカっていうとね。すぐだまされちゃうの
街の人達にだまされちゃうの
その度にお金やクツをだましとられちゃうの

でも旅人はバカだから
「これで助かります」
って街の人のウソにも
ポロポロ、ポロポロ涙をこぼすの
「お幸せに、お幸せに」
っていうの

 

で、とうとうすっ裸になっちゃって
さすがに旅人も恥ずかしくて
森の中を旅する事にするの

 

そしたら今度は森に住む魔物達に出会うの
魔物達は旅人の体を食べたくて
言葉たくみにだましていくの
もちろん旅人はだまされて
足を一本、腕を一本、あげちゃうの

 

結局、旅人は頭だけになっちゃって
最後の魔物には目をあげたの

 

その魔物はバリバリ目を食べながら
「ありがとう。お礼に贈り物をあげます」
って置いてくの

 

でも、それもウソで
贈り物は『バカ』と書かれた紙切れ一枚

 

でも旅人はポロポロ泣くの
「ありがとう。ありがとう」
「初めての贈り物だ。嬉しい。嬉しい。ありがとう。ありがとう」
もう、ない目から、ポロポロ、ポロポロ涙をこぼすの

 

そして旅人は、そのままポックリ
死んでしまいましたとさ』

さて皆さんはこの話を聞いてどう思いましたか?

ここではこう語られています。

「損とか苦労とか、考えるだけムダだよ。旅人はそんな事考えちゃいないもの。
誰かにとってはそれがバカでも、ボクにとってはバカじゃないだけ。
誰かにとってはだましがいのある人でも、ボクはだまさないだけ。
ボクは本当に喜ばせてあげたいと思うだけ。 」

確かに馬鹿な旅人だと思うが胸を打つのはなえだろう?

 

 

 

百人一首とモテ川柳

最近川柳が流行っているみたいだ、サラリーマン川柳やお茶のパッケージにも投稿された川柳が掲載されてたりする。

昔から和歌によって異性へ思いを歌に込めて伝えたり、その気持ちを歌として綴ったりしていたようだ。久々に百人一首の本を読んでいるが大多数が恋の歌である。

たとえば

住ノ江の  岸に寄る波 よるさえや 夢の通い路  人目よくらむ

藤原 敏行 朝臣

波は寄る 住ノ江の岸に 私の思いも あなたの岸に ああ 夜の波を見つめつくして ひた嘆く我とわが身の心弱り 夢路でさえもおどおどと人目を避けて 夜の波を見つめつくして、、。

由良の門を 渡る舟人 かじを絶え 行方も知らぬ 恋の道かな

曾禰 好忠

由良の門をゆらゆら渡る舟人は 舵を失くして波に漂う その行方も知らぬさまよいに似て行方も知らない私の恋は 由良の門の波に漂う。。。

今はただ 思い絶えなむ とばかりを 人づてならで いうよしもがな

左京大夫道雅

今はもうふっつりとあきらめます あなたとの恋は、、、もうふっつりと けれどそれを人づてにお伝えするのはいやなのです。 ああ どうしても これを限りにお逢いしていうのでなければ、、、

諦めねばならない恋だけれども、今一度だけあって あなたのことを諦めますとあなたに告げたいという切ない和歌。

恨みわび ほさぬ袖だに あるものを 恋にくちなむ 名こそ惜しけれ

相模

世間はどうしてこんなにも口さがないのか さもなくてさえ情ない人は恨めしく わたしは侘しく 袖の乾くひまさえないのに 世間は噂ばかり、、こん恋のため 涙に浸かって朽ち果てるのか 哀れ はたしは、、、

つれない男に恋する女の恋の思いのかなわぬうちに、世間にひろまってしまい、もだえ苦しんでいる歌。

という風に昔から恋バナが盛り上がっていたのであろう。。。よくファミレスや飲み屋でも若い男女の話題の中心になっている。。

さてもて川柳である。女性の男性を口説くテクニックを歌ったものである。

女性はなかなかいろいろなことを考えて、異性に対しアプローチをかけているみたいだ。。一通り読んだが、僕は女性に悲しいかなここに書かれているようなアプローチは受けたことがないように思い袖を濡らして読んでいた。

たとえば

効くセリフ  「一緒にいると」 落ち着くの

女性の母性と似ていて、男性はか弱いものを守りたいという欲求があるらしい。守りたい欲求を満足させることばらしい。プライドの高い男性に効果的と言われている。

元気キャラ 不意に弱音を 吐いてみる

コントラスト効果といって、人は相反する二面性を見せられると心が動き、恋愛感情が動きやすくなるなるらしい、、、。いきなりしんみりしだした女性には注意が必要だ、、。

ヌケている 物を忘れた ドジ演出

実験でちょっとヌケている女性とできる女性と実演販売をしたところドジな女性の方が売り上げがよかったらしい。販売員としては優秀だといえるが、友人でいたとしたら本気で怒って撃退しよう。

「初めて!」と 驚いたふり リアクション

理由なく 声が聞きたく なっただけ、、、。

ない悩み 相談しながら 色仕掛け    (千葉県26歳フリーター)

恐ろしいがこれに対して私の返しは、、、

嘘でいい  嘘でもうれしい  花いちもんめ  (稲中 井沢)

 

山家清兵衛について

久々に歴史の人物について書こうと思う。このブログでは初めのとうこうとなります。

歴史を見ると民衆に良い政治や行いをしたからと言って必ずしも、良い終わりを迎えられるとは限らないと感じずにはいられない。

例えば、高橋是清も軍事を縮小しようとして暗殺されたり、大村益次郎も明治維新の立役者であるが暗殺されている。坂本龍馬や中岡慎太郎、佐久間象山などもそうである。今回の山家清兵衛もその一人である。上記の人物と比べればほとんど耳にすることのない人物であるが、宇和島のほうでは神となった人物である。

愛媛の宇和島は豊臣政権下時代、戸田勝隆が治めていた彼は母衣衆で武勇には優れていたが殺戮を平気で行う人物であった。その家来も民衆を強盗、殺戮を略奪を行っていた。その暴政のため田畑があれ民衆は疲弊しきっていた。戸田はその後朝鮮出兵となり病死にしたため、藤堂高虎が5年ほど善政をしき少し回復したものの、その後の富田信高が再び疲弊した。

その後伊達政宗の長子である秀宗が入部することになる。この時政宗は6万両というとんでもない金を秀宗に貸し与えている。この時の宇和島は疲弊しきっていたためそれを回復させるためにはかなりの決意がいった。そのため家老団も政宗が指名した。その中の家老団の中に山家清兵衛がいた。この当時珍しく理財の才があり民政家でもあった。政宗が「この清兵衛の言葉はわしの言葉と思え」といったほどの人物であったらしい。

彼は農民に対し飛び切り税率を安くし、領内を10組に分けて代官を置き、城下には奉行を置き、自治組織も充実させていった。財務、山林、海事、物産などの奉行をおいて仕事を分掌してその教育や訓練を行った。彼は官僚に民政の心構えを訓練した。その精神は明治まで民政官僚の源流となっている。

しかしその行動は筆頭家老である桜田玄蕃や侍頭の桑折左衛門の怒りに触れたらしい。

また、政宗から借りた6万両の返済も厳しかったため、財政は火の車であった。桜田はその6万両をもらえばいい意見したが、山家は「借りた金は返さなければいけない」といい「領民から搾り取れ」という意見も取り合わなかった。彼は農民に負担をかけさせることは一切なかったという。

その代わり士分に禄高別に税率をかけようとして大反発を受け暗殺されてしまう。

その残忍さは彼の子ども3人も殺されている。そのうちの一人は井戸につるされつるし斬りされていたほどである。

彼の死後12年後秀宗は清兵衛を神として奉ろうと京都から奉幣使をわざわざ呼んで正規の神社として一社たてたらしい。

彼の行政をやった時期は6年ほどであった。その治績でいまなお神として(和霊神社)市中だけでなく宇和島で崇拝されているらしい。日本史上民政家で山家清兵衛ほど深く尊崇されている例は少ない。

このようにいい行いをしたからと言って、その人にとってよい結末を迎えるとは限らない。結果的には評価されたとしても一家は殺され、絶えている。人生というのは怖くもあり、面白くもあり、まったく先のわからないものだ。